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林田力『東急大井町線高架下立ち退き』(Driving out Inhabitants under the Elevated Railway of Tokyu Oimachi Line)は東急電鉄による東急大井町線高架下住民追い出し問題を取り上げたノンフィクションである。東急電鉄は東急大井町線高架下(ガード下)住民に一方的な立ち退きを要求している。Tokyu Corp. is driving out inhabitants and tenants under the elevated railway of Tokyu Oimachi Line.

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『アヴェロワーニュ妖魅浪漫譚』異界に通じる森
クラーク・アシュトン・スミス著、大瀧啓裕訳『アヴェロワーニュ妖魅浪漫譚』(創元推理文庫)は幻想的なホラー短編集である。フランスの架空の一地方アヴェロワーニュの中近世の年代記と、オカルト現象を扱った降霊術奇譚から構成される。

アヴェロワーニュ年代記は「怪物像をつくる者」で始まる。ローマ・カトリックが絶対的な権威を有している中世フランスを舞台とするが、キリスト教が邪悪な存在に無力であることが浮かび上がる。読者をアヴェロワーニュの世界に誘う入口にふさわしい。

続く「アゼダラクの聖性」ではカトリックの司教にまで背教者が入り込んでいる。それを告発しようとする修道士が主人公であるが、物語は背徳の司教との対決という予想から大きく外れた展開となった。

「イルゥルニュ城の巨像」は死の間際に社会に復讐しようとする降霊術師の物語である。オカルトにはオカルトで対抗する構図を描く。

「アヴェロワーニュの媾曳」は森で逢引しようとして異界に囚われたカップルの物語である。これまでの短編は人間の邪悪な意思の話であったが、ここからは人外の現象が主題になる。続く「アヴェロワーニュの獣」は本書では珍しくSF色のある作品である。未来を描くだけがSFではないと再確認させられる。

「マンドラゴラ」は魔法使い夫婦の話である。闇に葬られた死者の怨念が殺人の事実を明らかにするという展開はホラー作品の定番中の定番である。ここでは魔法や錬金術の原料として馴染みのマンドラゴラを小道具として上手に使っている。

「ウェヌスの発掘」は修道院の敷地から発掘されたウェヌス像の物語である。ウェヌス(ヴィーナス)はローマ神話の美の女神である。キリスト教によってローマ神話は抑圧されたが、ここではウェヌス像が修道士を翻弄する。

「サテュロス」「シレールの魔女」では森が魔物の棲み、異界に通じる領域としてクローズアップされる。以下の文章が示している。

「森には人間にとって有害なものが出没し、キリストやサタンよりも古い原初の邪悪な霊もいる」(201頁)

ここには自然と人間を対立的に位置付け、人間の征服対象と捉える西洋的な自然観が投影されている。この種の西洋思想が環境破壊をもたらしたとして自然と共存する東洋思想の優越を語るナイーブな議論がある。森に安らぎや親しみを感じ、ロハスな生活を追求することは結構である。

しかし、それは人間に飼いならされた、人間に都合の良い自然である。人間の世界とは異質な他者として自然を認めることができるかが問われる。その点の発想が弱い日本では自然を破壊して超高層ビルを建設し、周辺や屋上を緑化することで自然と調和した再開発とデベロッパーが自賛するような勘違いが生まれる。その典型が東急電鉄や東急不動産が東京都世田谷区で進める二子玉川ライズである。

日本でも古くは森を魔物の棲む世界という見方があった。分かりやすい例に映画『もののけ姫』の世界がある。そこでは森は「もののけ」の棲む場所で、人間との間に勢力新生が起きていた。シシ神が討たれた後に森は復活するが、それは最早人を寄せ付けない森ではなくなってしまった。

「サテュロス」では異界の存在は人間にとって害をなすものであった。その社会的視点は「シレールの魔女」で変わらないが、主人公の選択は異なっていた。続く「物語の結末」でも異界の存在に対する抗い難い魅力を歌い上げる。

一方で年代記最後の「蟾蜍のおばさん」は「シレールの魔女」や「物語の結末」のロマンスに冷や水を浴びせる内容になっている。訳者は「蟾蜍のおばさん」が年代不詳のために最後に置いたと説明するが(412頁)、これを最後にすることで宴の後の空しさ寂しさのような印象を与える。

降霊術奇譚にはオカルトにのめり込んだ人物が破滅するストーリーが多い。「アフォーゴモンの鎖」は神に背いて禁忌の術を用いた神官の絶望が描かれる。「魔力のある物語」は先祖の体験とリンクする物語である。

「妖術師の帰還」は悪人が怪奇現象によって裁かれる勧善懲悪型のホラーである。現代日本の幽霊が出るマンションでも起きそうな話である。「分裂症の造物主」は主人公にとって救いがない結末であるが、神と悪魔について哲学的な内容を含んでいる。

「彼方から狩り立てるもの」はインスピレーションを得ようとしてオカルトの世界に足を踏み入れた芸術家が、そのために最愛の人を失ってしまう。その後の「塵埃を踏み歩くもの」は対照的に注意深く節度を持ったオカルト研究者に降りかかった話である。広い意味では本人の不注意に属するが、他者の行為が原因であると明らかにするミステリー色が濃い。(林田力)
http://hayariki.net/hayariki2.htm#24
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